2020/12/17
「神なんて居ない。神がいるなら世界は平和なはずだ。」
こんな言葉を聞いたとき、私はふと思います。ここで話している「神」とは、いったい何のことでしょうか。
キリスト教やイスラム教などの一神教における神でしょうか。それとも日本で言う八百万の神でしょうか。あるいは、ネットで誰かが素晴らしい作品を投稿したときに「神!」と言う、あの「神」でしょうか。
では、「神とは世界を平和にする存在なのか?」と聞かれたらどうでしょう。
この問いに答える前に、そもそも「神」が何を指しているのかを共有しておかなければなりません。何を対象にして話しているのかが違えば、当然その後の話も変わってしまうからです。
ちなみに私自身が「神」と聞いて思い浮かべるのは、ざっくり言えば、この宇宙の外側に存在するような何かだったりします。一方で、ものすごく素晴らしいものを見れば「これは神だな」と言ったりもします。同じ「神」という言葉でも、私の中ですら使われ方が違うわけです。
だからこそ、何について話をしているのかを明確にすることが重要になります。
そこが曖昧なまま話を始めると、それぞれが自由に思い描いた対象について話すことになります。すると、実際には個人の意見を言っているだけだったり、何について話しているのかはよく分からないけれど、なんとなく共感した気がするだけだったりする。
これは議論ではありません。
もちろん、何でもかんでも細かく定義しなければならない、という話ではありません。
例えば「猫って可愛いよね」と言われて、「猫にはたくさんの種類がいます。まず、どの猫について話しているのか定義してください」なんて言い出したら、さすがに野暮でしょう。ここでは猫なら何でもいいのです。ただ「猫は可愛い」という感想を共有しているだけなのですから。
ところが、これが「なぜ猫は可愛いのか?」という話になったら少し違ってきます。
猫とは何を指すのか。特定の一匹について話しているのか、猫全般について話しているのか。そして「可愛い」とはどういう意味なのか。そうした前提がある程度共有されていなければ、話し合いや分析は成立しにくくなります。
つまり重要なのは、言葉を一字一句厳密に定義することではなく、「今、何について話をしているのか」が互いに分かっていることなのです。
例えば「東京ドームとは?」という話なら、普通はそこまで難しくありません。ほとんどの人が同じ建物を思い浮かべるでしょう。細かな認識の違いはあったとしても、話の対象そのものは共有されています。
一方で「神とは?」となると、話はまったく違います。同じ言葉から、それぞれがまったく違うものを思い浮かべる可能性があります。
価値観を共有している集団においては、そもそも前提共有が済んでいるので、これは問題になりません。東京ドームがまさにそれです。熟年夫婦の「おい」「はいはい」で成立する会話もそうでしょう。当人たちの間では、それだけで何を言っているのか通じている。しかし、そこに第三者が入ってきたら「何の話をしているんだ?」となります。当人たち以外には、何も意味が分かりません。
現代は多様性の時代です。個々人の思い描く物事は、それぞれ別です。ましてや「神」に至っては、何を指すのかという幅はとても広い。
何についての話をしているのか。
前提の共有こそが、話し合いにおいてまず第1歩目なのです。